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Webサービスの多言語化について書いています。

Webサービスを多言語化するリスクを考えてみた

IKEAサウジアラビアで製作したパンフレットが物議を醸しているという記事がありました。

IKEA's Women-free Catalogue in Saudi Arabia

内容は記事を読んでいただければと思うのですが、これを読んで、自社のWebサービスを「国際化」するつもりが「多言語化」だけで満足してしまうことのリスクについて考えたので、まとめてみます。

多言語化することのリスク

最初に紹介した記事はいわゆる「多言語化」とは違った取り組みですが、今までの顧客とは違った文化を持つ層にアプローチするという意味では多言語化するのと同じだと考えています。

その上で、多言語化することのリスクについて、以下の2つがあると思いました。

新しいターゲットに意図しないメッセージが届いてしまうリスク

例えば今私たちが日本語で日本人向けのサービスを展開していることを考えた場合、作る側が使う側の立場になって自分のサービスを見ることができるため、作る側が提示しているテキストや画像がどのように受け取られるのかをある程度予想することができます。

しかし、多言語化して自分とは全く異なる文化、言語で生活している人たちにサービスを提供するとなると、先ほどの「作る側が使う側の立場で自分のサービスを見る」ということができなくなるため、そのテキストや画像がどのように受け取られるか、予測することはほぼ不可能になってしまいます。

さらに、多言語化という意識で「言語」だけを見てしまうと、言語は同じだけれど国も文化も宗教も全く違う人たちの存在を見落とします。 例えば、スペイン語はスペインだけでなく、はるか海を渡った中南米でも公用語として使われていますし、中国語(特にMandarinと呼ばれる共通語)は中国本土の各地域や台湾、香港、さらにはシンガポールといった様々な国や地域で、13億人以上が読むことができてしまいます。

私たちが日本語で日本人に発しているテキストを単純に翻訳すれば、新しいユーザーにもそのまま同じように届くとは限らないのです。

想定外の人にメッセージが届いてしまう

今回のIKEAの件は、イスラム教を厳格に守っている人たちに向けてサービスをチューニングした結果、それが全く意図しない「女性の人権を考える人たち」に拾われてしまったことが発端のようです。

つまり、良かれと思って特定の言語に対応した結果、それ自体を快く思わない人たちが出てくるリスクがある、ということになります。

例えば、同じハングルでも韓国と北朝鮮では書き方・読み方に方言のような差異があるそうなのですが、韓国人向けにハングルでサービスを提供した結果それを目にした北朝鮮の人が「ハングルと言ったら北朝鮮だろう、なんで南訛りの表記をしているんだ!」とクレームの声を上げることも考えられないことではありません。

上の例はさすがにそう起こることではないかと思いますが、とはいえ宗教上の対立、紛争地域、歴史的な経緯などが影響して、「こっちのユーザーを想定してこの言語で出したら、それを読めちゃうあっちのユーザーが不快に思う」という事態は十分起こり得るのではないかと思います。


システム的な多言語対応というと、言語設定ごとのテキストの変換や、画像などのリソースファイルの選択をサポートしてくれるものがほとんどで、それを使って満足してしまうこともあるのではと思いますが、それだけでは不十分どころか、サービスの内容や翻訳方法によってはブランドイメージを損なう可能性もあるのではないかとIKEAの記事を読んで考えました。

本当にターゲットの国のユーザーに使ってほしいのであれば、テキストの翻訳だけで満足するのではなく、いわゆるグロースハックのような、継続的な検証と修正が国・地域ごとに必要なのではないかと思います。

技術的には、翻訳文を変換する仕組みの実装だけでなく、国・地域ごとに継続的に細かなチューニングができる柔軟な環境づくり、場合によってはある国向けのサービスだけ全く別のシステムとして構築し直すことになった場合にシステム全体を再設計する力、などが必要になるのではないかと思います。

やればいいというものではない、ということかなと思います。